今回ご紹介するのは親子のための心理講座を主催し、子どもにも自分の人生にも真剣に向き合いたいお母さんに伴走するあすかさんです。
あすかさんのインタビュー後、筆者の中に「母」とは何だろうか、と問いが広がりました。
「母」という言葉で検索をかけてみました。
“①はは。ははおや。[対]父 ②親族の年長の女子。③母がわりの女性。うば。めのと。④物事のもととなるもの。⑤帰るべきところ。ねじろ。⑥出身地。” (出典:goo辞書)
参考までに「父」のページも見てみます。
“①ちち。ちちおや。[対]母 ②親族の年長の男子。③年老いた男子。④男性に対する敬称。” (出典:goo辞書)
文字のボリュームだけを見ても「母」の担う役割は多そうだということがわかります。
中でも「帰るべきところ」、「ねじろ」に目が留まります。ちなみに「ねじろ」とは行動の根拠のこと。
母から生まれた全ての人へ、そして母として生きる人へ、あすかさんのSTORYを読んで、あなたにとっての「母」の存在を考えてみませんか?ぜひ最後までお読みください。
あすか
親子のための心理講座主催/ 嗅覚反応分析士 / 社会保険労務士
4兄弟の子育て経験、長年の心理学の学びを活かし“自分のやりたい+家族のしあわせも両方叶えたい人“をサポート。香りを使った体質診断(嗅覚反応分析)で家族の健康を支える活動も行う。
子育てもキャリアも楽しむ4兄弟の最強母
あすかさんは、2024年現在小5、小4、小2、1歳の男の子を育てる母だ。「4兄弟の母」と聞くと、それだけで「おつかれさまです」と敬礼したくなるものだ。彼女たちは、東京の真ん中で暮らす核家族。働き盛りの夫の帰宅時間はいつも遅い。周囲の人から「毎日大変でしょう?」と声をかけられることも多いと言う。実際、彼女はどのように感じているのだろうか。
「毎日楽しいですよ。今は子どもとの関わりで大変だと思うことや、ぐるぐる悩みこむことはほとんどないですね。子どもたちと夜ご飯を食べる時には、桃鉄のクイズをしたり、新しいダジャレを発表し合ったりして笑いが絶えないです。末っ子と、お昼寝する時間が至福の時。私、子どもとお昼寝するのが1番幸せな瞬間かも知れません。そんな感じで、私の幸せって日常に溢れているので、わりといつも幸せだと思って過ごしてますね」
あすかさんは子どもとの関わりを大切にしながら、自身のキャリアも築いてきた。彼女は新卒からIT企業で人事の仕事をしていたが、育児休業中に社会保険労務士の勉強をし、復職後は資格を活かして働いている。会社に所属はしているが、働き方は自由で特殊な存在だ。
「コロナ禍以前に、自ら会社にフルリモート勤務を提案し、仕事も子育てもやりやすいように環境をととのえました。それまで会社にはフルリモートで働く前例なんてなかったんですけどね。こだわるところ、こだわらないところは常に考えています。私にとって子どもとの時間を確保することが譲れないことでした。ごはん作りもこだわってないですね。お惣菜の日があってもいいけれど、ごはんの時間に子どもとコミュニケーションをとり楽しく過ごすことは大切にしています」
彼女は子どもとの時間を優先しているが、自分のやりたいことを犠牲にしてきたわけではない。むしろ積極的にチャレンジしている。彼女は、社労士の他に、アロマや食事、運動、生活習慣を見直すことで根本的に体質をととのえるアドバイスを行う嗅覚反応分析士の仕事も行っている。
また、あすかさんと言えば好学の人なのだ。これまで仕事と子育てを両立し、子どもの心理や関わりを学び続けている。これらの知見や自身の経験を踏まえ、親子のための心理講座を主催し、四男出産後は家庭もキャリアも輝かせたいお母さんのサポートもしている。どの仕事も楽しくて、やりがいだらけだと声を弾ませる。
さらに彼女の驚くべき点は、アニメや漫画が大好きで趣味もしっかり楽しんでいるのだ。
どうしたらあすかさんのように、子育ても、自分のやりたいことも、どちらものびのびと楽しんで出来るのだろうか。 ここまで読んで「この人はスーパーマンかも知れない」と思った方も多くいるだろう。しかし今のあすかさんに至るまでには、失敗も経験し、家族と共に泣いて笑って前に進んできた軌跡があった。これまでの彼女の歩みを見ていこう。
「なんかあったら、イス蹴っ飛ばして帰っておいで」
あすかさんが最も影響を受けた人物は、実母だ。彼女はどんな子ども時代を過ごしてきたのだろうか。
あすかさんは、福岡県福岡市に生まれた。父と母、2歳上の姉がいる。彼女は先天性の病気で、幼少の頃から高校を卒業するまで入院と手術を経験している。その数、15回。病気に関してはどのように感じていたのだろうか。
「産まれた時からなので病気自体は受け入れていましたね。ある意味、病院は居心地が良かったです。入院している子どもは似たような境遇だったのでお互いに理解していて、守られた空間でした」
闘病の経験は、母との絆を強固にした。
「入院中は、母が毎日お見舞いに来てくれました。母のおかげで入院中も嫌な思い出はほとんどなく、良い思い出が多いですね。母は絶対的な安心感をくれて、私のことを大好きでいてくれる1番の味方でしたね」
家族と強い結びつきがある一方で、友人関係は苦手だったと言う。
「学校では病気のことをからかう子もいました。夏休みは手術で入院することが多かったので、夏休みに友達と遊ぶ約束ができなかったのは、さびしさや切なさがありましたね。病気について友達にはなんと説明していいかわからなくて、大学生になるまで病気のことを話したことはなかったです」
母と娘の間には、お守りのような合言葉があった。
「中学生の頃、仲良しグループでお弁当を食べていました。夏休みは入院していたので、夏休み明けに話題についていけなかったらどうしようという不安がありました。そういう時、母は『なんかあったら、イス蹴っ飛ばして帰っておいで』と言って背中を押してくれました」
反対にあすかさんから、仕事への憂鬱さをぼやく母にこのセリフを言うこともあったと言う。
合言葉を交わすたび、彼女は大きな安心感を得て成長していった。それは恥ずかしがり屋で内気な女の子に、勇気とチャレンジ精神を授けてくれた。
今、彼女が大人になり、母との関係を次のように振り返る。
「母という存在がいつでも帰って来ることができる安全安心なシェルターのような場所でした。そういう家庭だと子どもはのびのび自由に生きることができると実感しましたね。これは、母から学んだ最も大きなことです」
思い出の中ほど母は完璧な存在ではなかった
あすかさんも子を産み母親になると、より母の存在を意識したと語る。
「昔から赤ちゃんが大好きだったので、子どもが産まれた時はほんとうに嬉しかったです。“母のようなお母さん”になりたいと思っていました。あの頃は自分の中で子育ての軸がなくて、よく母に電話をして『お母さんだったらどうする?』と相談していました。でも、いつしか理想の母親像が『こうしたい』、『こうしなきゃ』になり、自分を苦しくさせていたところもありましたね」
次男も産まれ年子育児に奮闘中、あすかさんが自分なりの子育ての軸を見つけていこうと強く誓った出来事があった。
「私はしつけの一環で、母に叩かれることもありました。叩くと言っても『コラ、ペチン!』というレベルで、そこにトラウマや嫌な思い出はないです。長男が2歳、次男が1歳になり、長男のイヤイヤ期も始まり、ゆっくり話しても伝わらない時、母がしていたように私も足を叩いていた時期があります」
この記事を読んでいる子育て世代の方も時代背景的に、叩かれて育ったという方もいるだろう。私たちは自分がされてきた子育てしかよく知らないものだ。
「お風呂で長男が『洗いたくない』と癇癪を起した時に、軽く叩いたことがありました。お風呂場だったので、叩いた音が大きく響いたんですね。『パッチーン!』って。その音で目が覚めました。目の前の泣き叫ぶ長男の姿を見て『これは、違う』と気づきましたね。そこから自分なりの子育ての模索が始まりました」
また母に対する印象も少し変化があったと言う。
「母と話す中で、母は子どもとの関わり方を保育園の先生に相談したり、子育ての講座で学んだりしていたことがわかりました。母も私と同じで、子育てに悩んでアドバイスを取り入れて頑張っていたのだと知り、思い出の中ほど完璧な存在ではなかったと気づきました」
彼女が母を敬愛する理由は、“完璧でいつも優しい母“だったからではない。”子どもとまっすぐに向き合い愛を伝え続けてきた姿勢“にあるのだろう。
赤ちゃんを育てる自信がなくて泣いた日
そこからは母のやり方ではなく、あすかさん自身のやり方で子どもに愛を伝えようと決め、多くのことを学んでいく。
彼女は大学で心理学を専攻していたこともあり、心理学的なアプローチに興味を持ち、NVC(非暴力コミュニケーション)と呼ばれる相手も自分もお互いを大事にするコミュニケーションを子育てにも活かしていく。NVCの考え方では、対立的な立場に見えても根源的なニーズは対立しないと考える。親として子にさせたいことと、子どもがしたくないことがぶつかった場合「この子は何を大切にしたいのだろう」と考えていく手法をとる。
「例えば子どもが癇癪を起こしている時に、『なんで怒っているの?』と声をかけると火に油を注いでしまいます。対立したいわけでもコントロールしたいわけでもないよ、サポートするよ、という立場で『何に困っているの?どうしたら力になれるかな?』こんな風に声かけをします」
あすかさんの長男と次男は年子だ。手が足りないと感じる場面も多かった。彼女は子育ての困ったを解決すべく、さらに学びの道を進む。忙しい日々の合間をぬって保育士の資格を取得し、保育や栄養学的な視点でも子どもへの理解を深めていく。
年子育児で学びと実践を繰り返し、子どもとの関わり方を少しずつ掴めてきた矢先、意図せず3人目の子の妊娠がわかった。2歳、1歳の幼児を抱えての妊娠だ。次男と三男は2歳差となる。
「ホルモンバランスの関係もあって、3人育児に一気に不安になってしまいました。旦那さんに『3人育てられるかな?大丈夫かな?』と聞いたんです。安心できる言葉が欲しかったのに『どうかなー?』と返ってきました(笑)産院で『赤ちゃん育てる自信ないです』と先生に泣きついて、心療内科のカウンセリングを紹介してもらったこともありましたね」
そこから、どうやって今のちょっとやそっとでは動じないあすかさんになっていったのだろうか。
「3人目の息子が産まれた時は、旦那さんは仕事で忙しい時期で、両親のサポートも得られない状況でこれもまた大変でしたね。でも、やっぱり赤ちゃんって可愛いんですよ。この可愛さに勝るものはないと思いました。何とかするって決めて、何とかしましたね」
辛かった時期を振り返るあすかさんだが、今は笑いながら話す。
3人育児を通じて彼女の中で母親としての軸が定まっていった。それは「ここは大事にする」と決めたところは大事にし、新しい考えも受け入れ、育児に対する「こうしたい」、「こうしなきゃ」の理想や思い込みを徹底的に手放していくことだった。
「育児は育自」と表現されることもあるが、彼女は自分の価値観にとことん向き合い、自らもアップデートしていく。よりしなやかに物事を捉え、人としての器を広げていった。
4兄弟の母あすかさんの子育ての軸とは
三男が生まれた頃からクリアになっていったと語るあすかさんの子育ての軸を伺った。
「子どもには、例えば病気になって寝たきりの状態になったとしても自分の価値は変わらないと信じることができる力を育みたいと思っています。私はこれを“自分ハナマル感”と呼んでいます。いつでも自分にハナマルをつけられる子であってほしいですね。ハナマル感があったら、何かがあった時に立ち戻る力と、そこに対する自信が持てると考えています」
次男には学習障害があり、忘れっぽいところもあるそうだ。彼女は次男の特性もおおらかに見つめ、信じて寄り添っている。
「次男は運動会に体操服を忘れるようなおちゃめな子なんですよ。忘れ物しても、テストの点数が取れなくても、いいんです。ルールやマナーを守ることも必要です。でも、それは先生や周りの大人も教えてくれます」
「子どもと一緒に過ごせる限られた時間の中でお母さんにしか伝えられないことって、そういうことじゃない。子ども自身が、自分のことをいいところもイマイチなところもひっくるめて『わりといいヤツだな』と思えて、信じることができたら、きっと幸せに生きていけます。周りの人を助けたり、助けられたりしながら、自分の足でやりたいことをして生きていって欲しいですね」
そのために、ほくほくとした自分ハナマル感の土台を日々のふれあいで一緒に築いていると言う。
「我が家の子どもたちは、それぞれが『自分は○○が得意』、『自分っていいヤツ』と思っていますし、なにより私が心からそう信じています」
「これからどんな風に成長し、大人になっていくかはわかりませんが『この子たちなら大丈夫』と感じています。今後社会にもまれる中で、ゆらいでしまうタイミングもあるかもしれないけれど、何かあったら、イス蹴っ飛ばして帰ってこれる場所でありたいですね」
後編では、あすかさんが考える良好な親子関係の築き方、キャリアと子育てのバランス、子育て講座“This is us”に込めた想い、今後の挑戦を聞きました。後編もどうぞお楽しみください。
あすか
親子のための心理講座主催/ 嗅覚反応分析士 / 社会保険労務士
4兄弟の子育て経験、長年の心理学の学びを活かし“自分のやりたい+家族のしあわせも両方叶えたい人“をサポート。香りを使った体質診断(嗅覚反応分析)で家族の健康を支える活動も行う。
【Information】Litlink / Instagram
親子のための心理講座情報はInstagramより発信中!ご興味ある方はぜひフォローやDM送ってくださいね!
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。(執筆者:江川ともよ)
\ご縁を繋ぐきっかけに/
あなたの魅力を伝え、想いを大切に届けるインタビューライティング
監査法人・コンサルティングファームのシェアードサービス会社の人事など会社員経験12年を経て、フリーのライターへ。1000件以上の対話経験を活かし、インタビューライターの活動を開始。
ヨガ講師、2児の母としての顔も持つ。
あなたのすてきなところを言葉にして届けます。
コメント